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日本一の庭園をつくった男 足立全康

足立美術館について

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横山大観と足立全康

横山大観

横山大観

足立全康は自叙伝でこう語っています。
「足立美術館は、時に『大観美術館』と呼ばれることがあるらしい。近代日本画史に不滅の足跡を刻む横山大観の名品が、数多くコレクションされているところから、そう形容されるのだろう。確かに、足立コレクションの基盤となるものは近代日本画だが、その量・質ともに骨格をなすのは横山大観である。長年、大観の偉大さに心酔してきた私としては、本懐を遂げた気分である。大観の魅力をひと言で言うなら、着想と表現力の素晴らしさにあると思う。それは恐らく誰も真似できないだろう。常に新しいものに挑戦し、自分のものとしていったあの旺盛な求道精神が、その作品に迫力と深み、そして構図のまとまりの良さを生んでいる。100年にひとり、あるいは300年にひとりの画家と言われるゆえんも、そこらあたりにあると思う。そんな大画家と私のような落第生とが、絵を通じて縁を結ぶというのは何とも不思議としか言いようがない。人生に対する心意気と気構えにおいて、少しでも似通っているものがあるとすれば、これほど嬉しいことはない」
烈々たる気迫をもって院展を再興し、次々と多くの名作を生み出し続けた大観と、14、5歳の頃から山陰の雪の中を素足にわらじがけで大八車を引き、まったくの裸一貫から、日本一の大観コレクションを有するまでになった足立全康は、ともに辛酸をなめ尽くしたというだけでなく、その発想の非凡さ、着想の素晴らしさ、旺盛なる行動力において相通じるところがあったのでしょう。例えば大観が空刷毛(からばけ)といった新手法を編み出して日本画壇に革命を起こしたことと、美術館の運営などまったくの素人であるといいながら、画期的な運営方法をもって年間50万人を超える、国内トップクラスの来館者を迎える美術館に育てた全康の発想の間には、古い考えに縛られない自由な思考の一致が見られますし、大観の作域の広さと、全康の汲めども尽きぬ着想の多様さには、その視点の広がりを見てとることができます。

晩年の足立全康

晩年の足立全康

また、豪壮一途なようでもありながら、出入りの若い表具師を、いかに酔っていようとも玄関まで見送って出る大観の律義さと、超ワンマンのようでいて、孫のような我々にまで、君はどう思うかと意見を求められる謙虚さ。また、多忙の中、地方新聞のわずか数行の取材に対してさえ、前日からメモを用意し、軽口をまぜながら上手く対応したその後で疲れはててしまうといった一途さは、やはり似ているように思えるのです。

夢とロマン

足立全康は平成2年、91歳で亡くなるまで世界の足立美術館にしたいという夢とロマンを持ち続けました。朝に夕に庭を見て、少しでも気に入らないことがあると庭師を呼んでは陣頭指揮をとっている姿や、何年も前に入手し損なった絵画について「いやまったく名作との出会いは人と同じで、縁だね。絵を集めるのは金じゃない。値段じゃない。いいものが出たら目をつむって掴んでしまえということだ。まったくあの絵は惜しいことをした。いまだに夜中にパッと目が覚めては思い出し、眠れん時があるよ」と口角泡を飛ばして語る姿を思い出しますと、要するに足立全康が出会った絵画といわず、庭園といわず、人といわず、それは、「美しいものに感動する心」を何とかして人に伝えたいという想いが、足立美術館のすみずみまで息づいているといえるのではないでしょうか。来館されるすべての人に感動を与える美術館でありたいと願い続けた足立全康であったと思います。